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メトロに乗って(多分千○田線)

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世の中にははみだしものもいる



気分が優れないときはラクガキ。


世の中には変なことで悩む人だっているわけで、その一人な自分は、常に変な緊張感と失望感、やりがい生きがいを見つけることにすごく焦って胃に穴があくような感覚、心臓が止まるような感覚を体験しちゃうような体質です。
だから今日もセミナーとか説明会に出てなんとか色々ききだそうと積極的に話したり、作品見せたりするのですが、それをして「ああやっぱいいな作るって」と思うと同時に、それをしたいがまた変なプレッシャーとなってキリキリ胃や腸が痛くなって吐き気を感じてしまう。
自分は出来るのだろうか?こんなものがこんな世界に興味をもってやっていくことはいいのだろうか?そもそも自分はいてもいなくてもいい存在じゃないのか?
そんな言葉が思い浮かぶのはいつも何かをすると必ずよぎるので、今まですごくうれしいことが舞い込んでも素直に喜べない、安心できるはずなのに安心できないという「休み」をうまくとれない体質です。
変な話、人と接することや、親しくなることにまで罪悪感を感じたりもするので本当に親密な友人というのがいないのかもしれない。話しているときはいい、問題は終わってから。
そのせいで気持ちを切り替えられず、チャレンジしようにも踏み切れない。人はそれを「ただの怖がりだ」というけれど、
怖がりも何かの線をこえると殺人衝動に走りそうになったり、はては自分で自分の機能停止させようと心臓が痛くなり始めることは知っていてもらいたいと時々思います。
しかし世の中は結局怖がりで片付けられるので、この穴埋めをさてどうしようかと何年も葛藤してもう大人。未だに治りません。
表向きは笑ってなぜか頼られる、手本にされるときもあるけれど、それは全くの嘘でちっぽけで行動力もない怖がりな自分と、ますます二極化されているような気がしてどうしていいものか分からなくなります。

人は複雑だけれども、理念や性格は単純であったほうがいいとつくづく思いました。


何よりこんなことを悪化させている原因は絵を描くことであって、同時に自分を押し出していく為のものであるといういいとこわるいとこ持ち合わせている趣味がいけないんだと思う。
なんだかんだで絵はトラウマを刻み付けたものだったり...
しかし描くことも創ることも大好きだし、これからも描き続けたいと思っているから
やはりきってもきれないんだなぁと思います。
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