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メトロに乗って(多分千○田線)

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自分を偽るな、本心を信じろ

私は特に目立った人間関係の好き嫌いはない。しかしはっきりとこれだけは嫌いな部類がある
・何度も発言するくせに実行しない、発言に責任を持てない人。
・その場の限度というものを知らず、延々と喋り続ける人

昔からそうだった、朝礼の時、授業中のとき、ずっと喋る人、友人。それをすることで先生は怒り、空気を悪くするとしっていても続ける、しかも起こられたことに全く反省しない。逆に愚痴になる。自分達が悪いのに
私はこれが大嫌いだ、どの授業にもつきものでしょうがないと思うこともあるけれど、あまりにも五月蝿いものは怒り爆発寸前でもあった。まだ居眠りして静かな人のほうが良い、あれは自己責任なのだから、授業についていけなくても。
しかしそんな喋る人に限ってテストが難しいだの、ここ知らないだのといってくる。それは言ったことだ、公式も書いたことだ、宿題はちゃんと出た、締め切りの日はちゃんと黒板にまで書いた。
しかしそれを注意したところで何が変わったのだろう?少なくとも、友人に注意することは出来ても他人には無理。逆ギレだってされかねない。
だから私はそういった場を汚すことを極度に嫌い、電車の中でも未だにまともに喋らない、どんなに友人が大声で話していても、どんなに満員電車でも、私はその話題には一切介入せず、その時の顔は眉間にしわがよるほどだったりするらしい。

そしてもう一つ許せないのが、やるといったこと、するといったことを結局しないで終わってしまう人。
誰だって有限不実行するなとは絶対に出来ない。時間の関係、諸事情で出来ないことだってある。私も何度かやっていることです。
しかし他人にまでおおっぴらに発言しておいて、いざ本番というときにやっていない、しかもそれが何度もあるとさすがにあきれるものです。
これをし続けるほど、世間に見放される人はいない。まぁ何度かやるひとはいた、けどそこまで注意することではなかったと思う。しかしそれにも限度というものがある。
今回、私は腹をくくって注意をする。それは友人だと思えるからこその結論であり、自分の気持ちを偽りたくないからもあるかもしれない。
これをしたことによって嫌われるかもしれない、けどこれはもう個人的な問題ではない。
私が友人としての縁を切られるのは良い、だけど他者の気持ちを裏切ってはいけないのだと思う。
今まで言いたいことを言えずに心の奥底にしまってきたことが何度かあった。けど今回
私は意見を述べてしまったものとして、責任を持たねばならない。そしてその意見を述べれるほど
私はそこに値する人間であるのだろうか...?


後悔はしていない。
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