2008/03/06 Category : ウツ 未だに外出に関して 親の厳しい目がある冬生です。まだ大人仲間入りしたばかりだから、厳しいのは分かるけどもう少し話させて欲しいとおもう。 それは夜は変なやからがいる都心に出ていたり、帰りの自転車は人気のない国道通っているからというのもあるのだろうけど。 本気で一人暮らしを考えたほうがいいかもしれない、しかし猫が飼えないなんて辛過ぎる。 (ついでに言うと、今住んでいる場所がすきすぎて離れたくないというのもあったり) 人の気持ちや心境なんて、いくら話しても分かることなんてないからこそ、面白いんだなとおもった今日この頃です。 友人と延々と話してましたが、一向に話の終わりが見えないくらい、話題が多すぎる。 それは愚痴だったり好きなことだったり嫌いなことだったり悩みだったり暴露大会だったりするのですが、昔の自分じゃ考えられないくらい近年よく話すようになったなぁと思います。 人嫌いだったから。 今でも電車の中、街中、教室で人の視線がすごく気になって安心できることなんてないけれど。 今は話しても良いと思った相手には話すし、ついでに注意もしたりされたりします。それでも話せるのはそれだけ相手のことが分かっているからなのかもしれません。自分は結構きつい言葉を言うタイプなので、許せないことには容赦なく発言してしまいますけど。いえる人だけ。 もちろん合わない部分もありますが、それが我慢できないにはならないので、そこがまた面白い駆け引きなのかもしれません。好きと嫌いがすぐそばなんだけど、それのおかげで言えることいえる、聞きたいこと聞ける。 基本私はマイペース♪...じゃなくて基本何事も割り切っていて、怒っても数秒後にはすぐに収まっていたりするような奴で、大抵のことが「フーン」で収まることが多い。 そんな一歩置いた位置にいるからこそ他者のいやみや愚痴を聞いても不快にならないようにはなっているようで、 だから自分と真逆な性質を持つ人、物事をはっきり言う人には合うらしい。あくまでらしいですが、大体聞き役になるのが自分のできる相手の発散方法の一つだと思っています。 そうすると色々なことが聞けるし、多種多様の意見が分かり考えの幅が広がってきたような気がします。 だから自分はもっと色々な人と話すことをすごくしていきたいと思います、話せば話すだけ思想の広がりが生まれてキャラクター作りへの素材にもなるし、自分がどんな位置でどんな卑怯なニンゲンなのか、または どんな異端でどんな逃げのニンゲンなのかが分かってくるんじゃないかなと。 絵を描くことも、見ることも、考えることも大切だけど、聞くこと話すことってすごくありがたいことなんだなぁって 今更実感しました。話してくれてありがとう、話をきいてくれてありがとう。 (あまりにもそんな会話をしていたものだから、人の心についてすごく興味が湧いてきたりもしました、なんか絵描くよりも楽しいぞコレ!) よくブログとかで、嫌だ嫌だとか、死ねばいいのにとかむかついた、イライラするとしか書かない人は、一度面と向かって全然意見合わない人と話してみるといいかもしれません。納得できないこともあるけれど、新しい一面も見ることが出来ると思います。 未だに半ヒッキーな自分だけど、ヒッキーやめたいです。ヒッキー偏る、ヒッキー愚痴しか出ない。 そして愚痴るだけ愚痴って行動しない、これは良くない。早く脱退したい。 個人的な意見として、ヒッキーは一方通行な他者からの情報を好きな部分だけしか追求せず、自分に不都合なことはなかったことにし、発言では否定しかないものを押し付けるのに、前に出ようとしない人だと思います。 ちなみに私の場合は、何事も感情が押し出されて会話する人です。おおそうなのかと納得する部分もあれば、それは違うぜと反発しつつも会話が出来るってすごい。 きっとこれから世の中に出て「見ているだけで吐き気がする嫌な人、考え付くのが短所ばかりの人」というのが出てくるかもしれないけれど、それはそれで何が合わないのか、どこがつりあわないのかを追求していければ嫌いも面白いになるんじゃないかなと思いました。 そんな寛大な心ではないけれど。 そして己の中にあるであろう、モウ一人の自分が何時か完全に分裂してそれ自身が人格を形成するのかどうなのかをちょっと楽しみにしてみるのでした(いわゆる多重人格) 誰だって持っている「らしくない自分の一面」 今は「まぁそれも自分だし」と分かっているから勝手に離れていかないし制御できているけれど、それが一人歩きしないという保障はない。 PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword